2015年05月28日
今、私の人生を生き直しています
こんばんは♪
幸い人です。
コーチ・アヤコ式(R)
カウンセラー養成講座のシェアタイムで
過去の自分や
時折起こるココロのざわつき の
根っこにあったものが解き明かされて
癒された私です。
生きてきた環境はちがえど
同じような経験をもつ仲間の話に
たくさんの共感がありました。
****************
母の人生を生きていた私
私の人生を生きていた娘
そのことに気づかせてくれた娘に感謝
ココロの中の小さな私の存在に気づいて
迎えに行くことができた今
毎日が歓びと幸せに満ちています
****************

以前書いたことがあったかもしれませんが
私は、一人っ子です。
「一人っ子っていいよね~ うらやましい!
だって、ワガママ好き放題しても許されるし
新しいもの何でも買ってもらえるでしょ?」
私が一人っ子と知るや 周囲から羨望のまなざし
「そうかな~
たしかに恵まれているとは思うけど」
世間が描く一人っ子のイメージと
一致しない自分に
いつも違和感を覚えていた私です。
「一人っ子にだって一人っ子の苦労がある」
繊細で実直 物静かな父
慎重で心配性 社交的な母
そんな両親の
愛情と期待を一身にうけて
何不自由なく生きてきた私
「どうしたらこんないい子に育つの?」
「一人っ子っぽくない」
「しっかりしたお子さんですね」
「何をさせてもよくできるし」
世間の私に対する評価に
母はいつも誇らしげでした。
そんな母を見て私も嬉しくて
ますます私はいつも立派であろうと思いました。
ずっと優等生タイプでありつづけ
母に認められつづけることが
私のモチベーションでした。
私は幼いころから
何かをねだるということはなかったそうです。
店先でおもちゃやお菓子を眺めている私に
「欲しいの?」と聞くと
「べつに」と答える子どもだったそうです。
一人っ子 = ワガママ
でも 私はちがう!
私はワガママをしてはいけない
私の欲求は親を困らせる
そんな想いがどんどんエスカレートして
私は何も望んではいけないという
ココロのブレーキをかける癖がついたようです。
お母さんが笑っていてくれれば安心する
私がいい子ならお母さんは笑顔でいてくれる
大好きなお母さんのためだもの
そのためなら私は何だってする
お母さんの困った顔は見たくない
いつも笑っていてほしいから
私はお母さんのために生きるんだ
いつもいい子でいよう
お母さんが望む完璧な子どもでいよう
だって私は一人っ子
親をガッカリさせたら
親に見捨てられたなら
私は一人ぼっちになってしまう
そう教えられたわけでも
強制されたわけでもないけれど
それが私の生き方として
無意識に植えつけられていました。
母のための人生
母に捧げる人生
母の人生を生きてきた私
心理の深いところで
母と私はいつの間にか
母子(親子)逆転をしていたのです。
母の幸せを守る役割を担った私
その役割を果たすために
子ども時代を
子どもとして生きてこなかった私
子どもらしさを失った私
母はいつも私の幸せを確認しました。
元気か?
大丈夫か?
うまくやっているか?
いい人を貫いているか?
世間に評価されているか?
結婚して実家を離れてからも
いつも母は私に確認します。
私は
どんなに疲れていても
どんなにイライラしていても
「大丈夫だよ!元気だよ!」
「ちゃんとやってるから安心してね」
母を不安にさせまいと
本当のことを偽って
幸せで優等生な私を演じていました。
私は母の 母代りをして生きてきた
滅私して
自己犠牲をしつづけてきた
母の笑顔を守るために
感じるままに子どもらしく
のびのびとした時代を生きてこなかった
無意識のうちに
自己犠牲をしてきたのです
本当の想いは未解決のまま
私の中のもう一人の小さな私のココロは
ずっとひとりぼっちで
存在に気づいてもらえるのを待っていたのでした。
この母子逆転の連鎖は
娘と私との間にも同じように
捻じれた親子逆転の関係をつくっていったのです。
娘は私の母として生き
私のために
私の幸せのために
自分らしさを押し込め
無意識に我慢に我慢を重ねて生きてきたのです。
拒食症になった娘からのメッセージは
娘自身のココロの叫び声であり
同時に私のココロの悲鳴でもありました。
「私なんて生きる価値がない」
「私はダメな人間」
「私はバカだから」
「私には居場所がない」
「自分が自分じゃない」
「助けて!」
自分が生き辛かっただなんて
気づいていなかった私には
「まさか!」の真実でした。
娘は拒食症になって
体をはって私のココロの叫びを
代弁しようとしてくれたのでした。
娘には
多くのことに気づかせてもらいました。
たくさん教えてもらいました。
たくさん救ってもらいました。
私がココロの奥に秘めていた想い
本当はもっと子どもらしく
自由奔放に生きたかった私がいたことを
教えてくれました。
拒食症というダミーの状況をつくって
その裏側にある本当の想いを
体をはって私に伝えてくれました。
「もういいよ、お母さん」
「お母さんはお母さんの人生を生きたらいい」
「自由に好きなことをしてもいいんだよ」
「いつも完璧じゃなくてもいいんだよ」
「お母さんらしく生きていいんだよ」
娘が拒食症にならなかったなら
私がずっと背負ってきたものの存在に
一生気づくことはなかったでしょう。
ワケもなく重苦しい空気の中で
今もなお悶々と過ごしていたのに
ちがいありません。
大人になった今でも
母を見ていて
安心したり
心がざわついたりする
私がいることが不思議でなりませんでした。
母がご近所や親戚とのいざこざで
落ち込んだり
イラついたりしているのを見ると
どうすることもできないのに
ものすごく落ち込んでいる私がいました
母がお友達と旅行や食事を楽しんだり
趣味に没頭して充実している姿を見ると
ものすごくほっとしている自分がいました。
なぜ母の浮き沈みを見て
私のココロまで反応するのだろう?
それは
私が母の人生を、母の軸で生きていたからだ!
このことを知ってはっとしました。
カウンセリング講座のシェアタイムでの出来事です。
メンバーにも同じように
何かが繋がったような感覚が訪れたようでした。
そして娘も同じだったのです。
娘も 娘の人生ではなく
私の人生を生きていたのです。
私の人生を引き受けていたのです。
まるで娘は私の母であるかのように
私の挙動に敏感に反応しては
自分を滅私して生きてきたのです。
私の生き辛さが
娘のココロを痛めていたのは
そういうカラクリがあってのことでした。
娘は拒食症という
命にもかかわるダミー行動をとって
その裏側にある真実を
私に伝えようとしてくれていたのです。
私を救ってくれたのは娘だったのです。
私が自分を押し殺していた
生き辛さの一つひとつに気づき
それを手放しはじめ
笑顔を取り戻すたびに
娘がそれにつられるようにして
拒食の症状を手放しはじめた
ココロの仕組みが
今ハッキリとつながりました。
娘は私の笑顔を見て
母を幸せにする役割
母を守る役割
いっぱいしょっていた役割を
安心してようやく手放すことができたのです。
そして娘も
娘自身の人生を歩み始めることが
できるようになったのです。
私は子どもに戻っても
もう大丈夫だよね、お母さん。。。
今、私はようやく私の人生を生きてる
子どものころに生きてこなかった
私の人生を生き直している
長い間置き去りにしてしまった
ココロの中の小さな私を迎えに行って
ギュッと抱きしめることができたのです。
ときどき
母の言動にココロのざわつきは起きるけれど
そのワケを知っているから
もうそれに振り回されることもありません。
私=私 でいられます。
お母さん
私を生んでくれてありがとう
今、私は私の人生を生き直しています
毎日がとても楽しいです
娘よ
私の子どもに生まれてきてくれてありがとう
あなたのおかげで
私は今 私の人生を生き直しています
ありのままのあなたの笑顔が
私の最大の幸せです
本当にありがとう
私はようやく
あなたの本当のお母さんになることができました
あなたの大切なお時間に
最後までお読みくださいまして、本当にありがとうございます

*:..:○☆*:..:○☆*:..:○☆
ご感想やコメントをお寄せくださいますと幸いです。
とても励みになります。
どうぞお気軽に! お待ちしています。
メールでもOKです。
saiwaibito5★gmail.com
(★を@に変更してお送りくださいませ)